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「奇術師(クリストファー・プリースト)」のあらすじとレビュー

「奇術師」とは

クリストファー・プリーストの小説「奇術師」のあらすじとレビューを書いていく。
奇術師は、1995年にイギリスで出版され、2004年に日本語訳版が発行されたSF小説だ。


テーマはタイトルの通り「奇術師」、つまりマジシャン。
巧みな奇術の技術によって名声を手に入れた二組の奇術師の確執、彼らが奇術のために捧げてきたものの正体、そして彼らから何世代も経た子孫たちにまで影響を及ぼした最大の謎が、彼らが遺した手記を通じて解き明かされていく。
この小説は1995年にジェイムズ・テイト・ブラック記念賞(小説部門)を、1996年の世界幻想文学大賞を受賞し、2006年にはタイトル「プレステージ」として映画化もされた。

「奇術師」のあらすじ

主人公は「アンドルー」という青年。
ジャーナリストである。
彼には兄弟はいないはずだが、「自分には双子の片割れがいる」という強迫観念じみた思いを抱えていた。
そんな彼はあるとき、ケイトという女性に取材という名目で、北イングランドの地へ呼び寄せられる。
そこで彼は、彼とケイトの祖先が、共に瞬間移動を得意とする大奇術師であり、彼らの間に深い確執があったことを告げた。


自分の祖先が奇術師であることを知るのは面白かったが、祖先の確執など自分には関係ない。
そう思う一方で、彼の直感は、自分の双子の片割れがケイトの屋敷にいること、そして屋敷に留まるべきということを告げていた。
彼らはアンドルーの祖先、アルフレッド・ボーデンの奇術教本「奇術の秘法」と、ケイトの祖先、ルパート・エンジャの手記を読み進めていく。
そして、彼らが人々を興奮させた「瞬間移動マジック」の正体、そしてアンドルーの強迫観念の真相が明らかになっていく。



映画「プレステージ」との相違点

映画「プレステージ」と原作である「奇術師」には、相違点がいくつかある。
大きく分けると、「ボーデンとエンジャの序盤の関係性」「主人公」「結末」の三点だ。
「ボーデンとエンジャの序盤の関係性」は、原作では直接の面識はなく、いきなり確執の大元となる出来事が起こるのだが、映画では、元々は奇術師としてよきライバル同士ということになっている。


「主人公」については、映画では奇術師であるボーデンおよびエンジャ(字幕では「アンジャー」表記)だが、原作ではボーデンのひ孫あるいは玄孫にあたるアンドルーが主人公、同じくエンジャの子孫であるケイトがヒロインを務めている。
特筆すべきは「結末」の違いだ。


当然、大きなネタバレとなるためあまり触れられないが、この違いのおかげで、映画版・原作どちらも最後まで緊張感を保ったまま楽しむことができる面白い作品だ。

「奇術師」のレビュー

私は映画「プレステージ」に大きな衝撃を受け、この「奇術師」を手に取った。
だからある程度ストーリーを承知のうえで読み始めたが、それでも非常に面白かった。
特に、主人公がボーデンでもエンジャでもない、彼らを直接知る由もない、彼らの子孫であるという点には驚いた。


奇術師らの息遣いは、奇術師らが遺した手記から感じ取るのみである。
しかし、それが逆に素晴らしかった。


彼らの手記には、奇術師らしい「惑わし(イリュージョン)」と、人間らしい独善的な主観にまみれており、異常に生々しく、不可思議で、グイグイ惹き込まれる。
もし私が先にプレステージを見ていなかったら、もっと物語を楽しめただろうかと思う一方で、彼らの巧みな惑わしは、私のような凡人には事前知識がないと太刀打ちできないかもしれないという思いもあった。
映画とは異なるラストシーンには尾を引くような恐ろしさがあり、最後までを感じさせられた。



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