俺と2次元ということ

今、俺はネカフェで夜をすごしている
一晩泊まるのに2000円程度必要だ
ホテルよりは安い

もし、そのお金さえ無かったら野営するしかない。

改めて思うが、家で生活するという当たり前のことに対して感謝の気持ちがわいてきた。
家、つまり不動産を持っているか持っていないかということはとても大きい。
なぜなら、家がないと所有物も置けず安全もままならない。
外は寒いし、趣味があってもそれができない場合があるからだ。

歯は家がなければ磨けない
歯を磨くという今まで当たり前だと思ってきたことさえも困難である

人間の基本は家だということだと思った。

今までの生活で貧困というものを知ったつもりでいたが、本当の貧困はまだ知らなかったようだ。

絶対に家から追い出されたらまずい。
もし、俺がフリーターなら親に30で家を追い出されそうだからそれを見越して東京僻地にでも家を買うかなて思う。
地面を掘って粘土を抽出してレンガを作って耐震構造を研究して・・・・自作で家でも建てるか。
というか、商社にでも就職したほうがよくね?
コンテンツ業界はなんだか入れても後々不安定そうだ。
コンテンツ業界に入るための人生じゃなくて、創作するための人生だと思った。
作るなら同人でハイクオリティな物を作ったほうが無難だ、やっぱ人生少し詰んでるかもね
いや、これから巻き返そう。
限りある創作エネルギーは自分がやりたいことに使うべきだ。
いままで、安定を馬鹿にしていた側面があるが、安定をバックグラウンドに創作をするするというのはかなりバックグラウンド的な意味で重要だ。
人生においてスリルや困難は必要だと思うが、それを支えるバックグラウンドもそれと同じぐらい必要だ。

今日、昼間小磯良平展見に行ったが、レベルが高かった。
ただ、芸術として本当にこれが答えなのか?という問いには答えを出していない気がした。
それから、秋葉原を1日かけて取材したがかなり疲れた、マックで寝てしまって店員に起こされた。
本当に東京は美少女キャラが氾濫している。
俺はそれに心を痛めた。
なぜなら、二次元はもっと高潔でリアルを超えた絶対的な儚い夢の存在だと思った俺にとって
、あの、でたらめな2次元の氾濫的は俺の中での2次元の存在の定義を否定する側面を持っていたからだ。
あと、2次元美少女の数が俺が思っていたよりもかなり多く存在していた。
いったい、何人2次元美少女たちは存在しているのだろうか?
俺の会社の就職面接では2000年に入ってから2010年まででいったい何人の二次元美少女キャラが生まれたか推測しなさいていう問題を出す。
それぐらい、俺にとっては重要だ。
あの数は異常に多い、俺がこれから製作して行く上で大いに考えさせられる問題だ。
今日は疲れた、でも俺は2次元の存在定義の問題と戦おうと思う。
俺はもし、戦いをやめたら生きる意味がなくなってしまうからだ。
それは、戦うことよりもつらいことだ。
すこし、ネカフェで休憩!

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