ゼレンスキーは習近平から突如上海を使うように言われる
2022年3月11日の習近平からの提案
2022年3月11日ウクライナのキエフにて、ゼレンスキーは「今回の、ウクライナ侵攻で上海を使ってくれないか。」
突然やってきた習近平に、そう言われた。
ゼレンスキーは驚いた様子は見せない。
そういうこともあるだろうくらいに思っていた。
2020年1月、中国の習近平主席が国家主席として19年ぶりにミャンマーを訪問している。
エアチャイナ、エアチャイナカーゴの他、ゴールデン・ミャンマー・エアラインズがないと五輪が盛り上がらないからだった。
2019年9月のドナルド・トランプからの提案
2019年10月、日本では、麻生太郎が、トランプ前アメリカ大統領との会談に入っていた。習近平にとって、麻生太郎がドナルドトランプと会談するのは日常茶飯事だった。
その時点で、ドナルドトランプは後のウクライナの戦時大統領となる人物を知っていたのだが。
2019年9月にキエフで、ゼレンスキーがトランプに会った際に、「君が困った時に、ガスプロムアビアという選択肢もあるよ。」
とトランプ前アメリカ大統領はゼレンスキーに提案していた。
これを使うつもりだったが、せっかく2022年3月11日に習近平が、キエフまで来て、提案してくれたのだ。
上海を使おう。
ゼレンスキーは決断した。
上海陸軍病院について
上海陸軍病院の外科病棟に勤務した経験がある人物に、市川多津江がいる。市川多津江は、昭和1939年12月~昭和1941年8月まで、上海・千田部隊に陸軍看護婦として従軍している。
昭和1943年3月~昭和1945年4月まで、上海・登一六三一部隊に陸軍看護婦として従軍している。
それを使おうとゼレンスキーは考えた。
今回の戦争の悲惨さを考えれば、少なくとも、上海には行った方がよさそうだ。
上海陸軍病院は、戦争で傷ついた人を多く受け入れた実績があるし、その証拠の写真がある。
ゼレンスキーにとって、今回のウクライナ戦争も全く同じケースだった。
ゼレンスキーの出した結論
ゼレンスキーは、日本を利用しようと考えていたが、最終的には使う必要はないと考えた。やはり、日本は、この場合必要ないからだ。
上海陸軍病院の次の避難民の受け入れ先に、ミャンマーを使おう。
ゴールデン・ミャンマー・エアラインズ、ミャンマー・エアウェイズ・インターナショナル、ミャンマー・ナショナル・エアウェイズを使おう。
それが、ゼレンスキーのだした結論だった。
ウクライナのキエフ、上海陸軍病院、そして、ミャンマーを並行して使おう。
ミャンマーも内戦状態だが、ミャンマーを使った方が良い。
そう決断した。
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