吉本ばなな

吉本ばななと代表作「キッチン」

押しも押されぬヒットメーカー吉本ばなな(現在の「よしもとばなな」)。
彼女の小説家としてのキャリアは長く、デビューして30年以上もの間、人気作家として一線で活躍しています。


キッチン」は数あるヒット作の中でも、今なお世界中で翻訳され読み続けられている彼女の代表作です。
吉本ばななの小説「キッチン」の表紙
朗らかで馴染みやすい軽快な語り口の本作ですが、今回はこの作品が持つ「影」の部分に着目していこうと思います。

死が横たわる台所

小説「キッチン」は、主人公の大学生・桜井みかげがたったひとりの祖母を亡くし天涯孤独になるところから始まります。
語り口のあっけらかんさや次々に起こる暖かなハプニングのせいでそこまで悲壮感の漂う内容ではなく、どちらかというと全体的に「楽しげ」な印象のストーリーが特徴的です。


しかし、少女漫画のような「恋愛関係未満の男女の同棲」という「なんか楽しそう」な設定をベースに持ちながら、その生活の側では常に忘れかけていた「死」がみかげに忍び寄り、隙を見ては彼女の心に暗い影を落とすのです。
普通に面白く物語を読み進めていると、主人公の大雑把さなども手伝ってそこまで気にならないのですが、注意して読み返すとゾッとするような表現がさらりと書かれていたりして、明るくふるまっている主人公の心の闇をうっかり見てしまったような気にもさせられます。
「キッチン」にはこのように、「楽しい新生活」を描く明るい本筋の影に隠れるような形で、しかししっかりと「死」のエピソードが周到に散りばめられてもいるのです。



死と夢

物語は「死」を遠く見つめながらも明るく進み、ラストで「ある展開」を迎えます。
別々に寝ていた男女が実は同時に同じ夢をみており、その夢の中でいっしょに菊池桃子の歌を口ずさむ、というものです。


物語中で主人公みかげはこの小さな超常現象を「ものすごいことのようにも思えるし、なんてことないことのようにも思えた」として納得し、受け入れます。
自分が生きているこの場所では時にはそんなことも当たり前に起こり得るのだ、とでもいうように。
…ハッキリ言って取るに足らない「事件」ではあります。


しかし「家族が死んでしまう世界」というものにマトモに向き合えていなかった主人公にとっては、この小さな「事件」を受け入れることで「死」もおなじように「ものすごいことのようにも思えるし、なんてことないことのようにも思え」るものとして受け入れられたのではないでしょうか(…と、このあたりは小説で明言されているわけではないので私の主観になってしまいますが、シーンの意味合いとしてはおそらく大きくハズしてはいないだろうと考えています)。

人が死ぬ世界

吉本ばななは、あくまで明るく朗らかにこの小説を展開させ、作中における「」のにおいは最小限に抑えられているようにも思います。
しかしのちに発表された4つの自選選集「オカルト」「ラブ」「デス「ライフ」においてこの作品を「デス」に収めたことからも、いかに「死」に自覚的になって書いた作品であるかということがうかがえます。
この世界は人が死ぬ世界です。
万人にとって「死」は逃れられない宿命であり、しかし日常をおくるために私たちは「死」を意識せずにいることもまた事実です。
「キッチン」で吉本ばななが描いたものは、そんな私たちのように「死」に自覚的にならないまま生活を送る主人公と、そこに訪れた突然の「死」です。


影のようにひっそりと、しかし私たちの生活の側にいつでも寄り添う「死」を、あかるい切り口で描いた吉本ばなな。
救いを「」に求める展開も、スピリチュアルなモチーフやテーマを作品にたびたび盛り込む彼女らしいところではあります。


「死」という普遍的なテーマを斬新な切り口で描いた本作は、今後も世界中の人々に読み継がれていくでしょう。
近年発表されているエッセイや日記などが持つ、のほほんとした世界観も間違いなく彼女の引き出しの一つではありますが、個人的には「キッチン」のような、多少粗くともチャレンジングなテーマ性を持った作品を期待するところです。
未読の方にとってはネタバレ的な内容にもなってしまいましたが、作品の持つ独特な味わいを、よろしければ是非ご自身でも体験してみてください。