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古き良き時代の「海の家」

昭和の頃の海の家は、床面にゴザを敷き詰めて、濡れた水着のまま上がって座るタイプと簡易的なテーブルとイスがおいてあり、それを利用するタイプが混在するものだった。

誰もが気軽に立ち寄って、主に家族が全員で自宅でくつろぐように過ごせるもので、今のように、おしゃれな外観で内装も凝った場合もあり、何故か、小さな子供を連れてワイワイ過ごせば、周辺に迷惑になりそうな気にさせられる、気取った感じの海の家も多く見受けられるようになった。

時代は大きく変わったと思うが、何となく敷居が高くなってしまったような少々がっかりするような気分にさせられる。



多様化する現代の「海の家」

もちろん全ての海の家が、そうであるとは言わないが、「気軽さ」もあって良いのではないかと思う。
若いカップルであれば、幼児が騒いでいる騒がしいところよりも、おしゃれで見栄えのする海の家の方が好まれるのだということは理解できる。

選択肢が増えたという風に考えれば、顧客に対するサービスが向上したのだと言うことなのであろう。
もう、昭和の頃の一般的な「海の家」は古すぎてはやらないのだというのであれば、甚だ残念である。

親しい友人どうしで思いっきり楽しみたいと考えれば、そういうニーズに応えられる「海の家」を目指せば良いと思う。
ありきたりの、どこにでもある「海の家」ばかりでなく、様々な顧客に合わせた特徴のある「海の家」があっても当然良いのである。



懐かしいあの味はどこへ行った?

「海の家」で最も楽しみにしていたものが、「海の家」で供される「焼きそば」や「おでん」である。極々、ありふれたどこでも食べることのできるメニューなのに、何故か、ものすごく美味しく感じたものだった。
どうしてこんなに美味しく感じるのだろうかと思うほどで、更に不思議なのは、「海の家」であればどこでもこのメニューがありどこでも美味しいのであった。

恐らく、多くの海水浴客のほとんどが同じように感じていたのではないだろうか。
「海の家」を利用するとは、イコール、このメニューを堪能するためだと言っても過言ではないような気がする。

ただ、今の「海の家」ではどうもあの時のような美味しさを味わえるかと言うと非常に疑問である。

自分自身が時代の変化に追い付いていないとったということでもあるのだが・・・。



これからの「海の家」とは。

これからの「海の家」とはどういうものになるのだろうか。
古いタイプを誇示する場合もあり、ホテル並みの設備を整えた若いカップル向けのものであったり、もっと様々なタイプが増えて、選択肢はますます多くなるのだと考えられる。

しかし、恐らく忘れてならないことは、「海の家」を訪れる大半の客は、非日常を求めてやってくるのだということである。

海岸で遊び疲れ、その一時を、海からの爽やかな風に吹かれ、ゆっくりと落ち着いて過ごす場所を提供し、好みの食事を摂りながら一時を過ごす思い出に残るところであって欲しい。


子供たちが夏休みの日記帳に書き残してくれたり、家族が後々の思い出話に出てきたり、そんな何時までも記憶に残る「海の家」であって欲しいものである。

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