出産
僕はあっという間に、この世界にやってきたらしい。あっという間というのは、母が陣痛を起こし分娩室に入ってわずかニ時間半後に生まれたからだ。
もちろん僕にその記憶はないから、これは母から聞いた話だ。
「あんたは簡単やった」事あるごとに彼女はそう言った。
まるで大きなプロジェクトを自分一人でやり遂げた、やり手のビジネスウーマンみたいに。
そう言う時の口角の上がり方が、なんだか僕は好きだった。
それを彼女に伝えたことはないけれど。
母はずっと独りだった。
文字通り独りだった。
父と別れ(これも僕は知らない)、僕の母としてだけ生きてきた人だ。
よく、子供は親の背中を見て大きくなるというけれど、僕は幼い頃毎日、母の背中を見ていた。
そこに書かれた文字を。
台所に立つ母の背中にはこう書いてあった。
「あんたの為に生きる」と。
僕はまた、その背中を見ている。
書かれた文字は同じだが、湾曲して文字が潰れている。
変わらず後ろでひとつにまとめられた髪の毛は、グレーのシャツに同化している。
「かあさん、お腹すいた、なんかある?」
「あんた、突然来てそんなんいうても、なんもないで。ほんま勝手なやっちゃ。」
そう言うと母は、振り返らずまっすぐ冷蔵庫へ歩いて行き、そこからタッパーを取り出して僕の目の前に置いた。
タッパーには唐揚げが入っていた。
我が家では定番の、ささみを使ったカレー風味の唐揚げだ。
「揚げたてちゃうんかい」と思わず言った僕に、「なんもない、言うてるやんけ!」とすぐに返した母の口角の上がり方に、僕はなんだか見覚えがあった。
それから数多くの月日が流れ息子は働きに出た
息子は当然、社会に出て働かなければいけない状況になっていた。しかし、息子は日本の社会というのは、外国の植民地であり、奴隷労働の場所であるということを感覚的に悟っていた。
息子は働きたくなかった。
働きたくない息子に対して母親は、働くように迫った。
もちろんシングルマザーの家庭では、大学に進学することもできず、とてもじゃないけど裕福な家庭環境ではないということは事実である。
息子が働いて給料を稼いで来ることに母親は期待した。
しかし息子は、アメリカの植民地の奴隷として働きたくないし、母親も、もうこれ以上、安月給でパートで働きたくないという状況だ。
結局のところ、息子は、働きたくないが、働きに出ることにした。
それぐらい家庭というのは金銭的に余裕は無かったし、そのような状況を息子も理解していた。
もちろん働いたからといって、裕福になれるわけではない。
しかし働かないよりは若干マシな程度である。
結局のところ息子は、中小企業の社畜として働き、大企業の下請けとして労働力を提供している。
それによって得た富を株主が配当金として吸い上げる仕組みだ。
さらにいえば、株から入る配当金は、税金が20%までしか上がらない。
株主の多くは外国人であり、株主資本主義の植民地の奴隷という構造はまさに、日本の社会の構造である。
もちろん、 夢も希望もないしそのようなことを考える余裕もない。
明日の、目の前のパンのことを考えて、精神的な不満ははインターネットのデジタルコンテンツで解消する日々である。
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