実際の小説の作り方
私は趣味で小説を書いている。ネット上で披露したり、たまに同人誌を出す程度のレベルのものだが、それなりに読んでくれるファンの方もいて楽しくやらせてもらっている。
漫画にせよ小説にせよ、面白くかつ矛盾しない長編を作るというのは至難の業だ。
書いている途中で設定に無理が出てずっと前のページに戻り書き直す、なんてことはしょっちゅうである。
一歩進んで二歩下がる、こんな無駄な作業をしないためにも大事なのが、物語を作る前に『プロット』を立てることだ。どういう世界観なのか、なにが起こるのか、誰が出てくるのか、主人公はどう行動するのか、そしてどんな結末を迎えるのか。
それらをしっかりと作り込めば、小説を書き始めたあとに「ここはどう書けばいいんだろう」と悩むことも少なくなるはずである。
そこで前項の「インサイティングイベント」という物語の掴みの部分を作りプロットに組み込むのだ。
この部分は読者にとっても大事だが執筆者本人にとっても大事な部分である。
話の中で自分が面白いと思う部分を書くのは純粋に楽しいし、あとプロット通り作っていけば「もうすぐあの転機のシーンが書ける!」とわかるので執筆のモチベーションアップにも繋がるのだ。
プロッターとパンツァー
プロットの作り方にも種類がある。 紙に考えた話の詳細を全て書き出し綿密に構成を考える場合もあれば、ふせんに思いついたキーワードをとにかく書きそれらを並び替え組み合わせることでストーリーの展開を考える方法なんてのもある。やり方は様々であるが、そういうプロットを作る人間は総じて『プロッター』と呼ばれる。
対してそう言ったものを作らずとりあえず書き始めるというやり方のひともいる。
それが『パンツァー』だ。
私はどちらかといえばパンツァーなので基本的にプロットを書くことはない。
ただ頭の中で話を考えている。やり方としてはまず「こういうシーンが書きたい」というアバウトなワンシーンを思い浮かべ、そこからどうそのシーンに話を持っていくのか、そのシーンからどう話が展開していくのか、という前後関係を考えるのだ。
ある程度一貫したストーリーが頭の中で作れたら小説を書き始める。
書いている途中で浮かんだ場面やセリフも随時加え、そして話が出来上がっていく。
短編ならこのやり方の方がプロットを立てる時間もかからないので早く済む。
ただ長編となると後の方で「あれ前に書いた部分とかみ合わないぞ」となることがまれにあるので、やはり脳内で済ませずある程度の設定は書き出しておいた方がいいかもしれない。
それでもなんとか二十五万字の長編を書き上げることが出来たので、自分にあったやり方でやることが一番だと思う。
インサイティングイベントとは
物語を作るときや小説を書くとき、多くのひとはまず『プロット』という話の骨組みから考えることが多いだろう。それはストーリー全体を起承転結に分けて考えるひともいれば、5W1Hでまず主人公の行動から考え話を広げていくひともいるかもしれない。
そのときストーリーの掴みの部分、つまり起承転結の『転』の部分に怒る出来事のことをインサイティングイベントという。
読み手がぐっと話に引き込まれる面白い展開が起こったり、こうきたか!やられた!と感嘆してしまうような部分を話の途中に作るのだ。
読者が途中で退屈しないためには必要不可欠な部分だと言える。
» インサイティングイベントについて、詳しくはこちらです。
ネタが無ければ作れない
小説の書き方をいくら勉強したところで、まず書きたいネタが浮かばなければ物語なんか到底作れない。恋愛の話が書きたいのか、それとも戦争の話が書きたいのか、サスペンスか、SFか。なんでもいいが、何かきっかけとなる部分が無いとストーリーなんか浮かばないのである。
それこそ私の場合はまず、インサイティングイベントがふっと頭に浮かび、そこから話を広げていくやり方が多い。
だが著名な作家の本などを読んでいると私なんかが思いもつかないような話を書いているので、いったいどんな人生を歩んできたらこんな話が書けるんだろうと常に不思議で仕方ないのだ。
インプットが無ければアウトプットは出来ない。いろんなものを見て、いろんなところに行って、いろんなひとと触れ合って、そういうことを積極的にしていかないと考えられる話の幅は広がらない。
もちろん生まれた環境にも影響される。ひとによって人生で経験出来ることは限られているのだ。
だからこその物語だと私は思っている。富裕層の経験が無くても物語の中なら触れられる。
その逆もしかり。
物語は自分の知らない世界を知るいちばん簡単な手段だ。
面白い小説のネタを思いつきたければ、まずはいろんな物語をインプットしていくことが大切だと私は思っている。
知識は積み重なり、いつか自分の脳内に新しい知らない誰かの『人生』を生み出すのだ。