「働かない」とは?
「働かない」ことに対する言葉のイメージ
働くことの意義を理解していない人は存在しないと思うが、ただ単に食べるためだけに働くのではないことも多くの人たちは意識している。逆に働かなければ、当然であるが、生きていくことは相当に困難になる筈である。
「人が動く」と漢字で書く「働く」は、やはり、「身体を動かす」ことが前提で、じっとしていることが「働く」こととは程遠いイメージがあることも容易に理解できることである。
つまり、一般的には、「働く」とは、額に汗して身体で稼ぐという状況を頭に思い浮かべるということだろう。
そこから発想する「働かない」という言葉は、どちらかと言えば、良い印象として受け取られることはない。
ただしこれは、 健全な社会であるということが条件であり、今の世の中のように働いても報われず奴隷のように酷使されるような社会的状況では、 働かずに生活保護を受給して楽しく暮らすというのも一つの生きる道だと思う。
それくらい、強欲な資本家というのは人々に対して価値観を刷り込み、自分たちの利益を最大化することが上手なのである。
「働かない」とは、羨ましいこと?
「働かない」でどうやって生きていくのか、と考えると、もともとお金に困らない境遇であるか、生きることを支えてくれる何らかのサポートがあるのか、等々、ある意味、特殊な環境にある場合のみである。つまり、良い悪いは別として、「労働の義務」を履行しないでも困らない人々である。
『働きたく」ても「働けない」のではなく「働く必要がない」と言う部類に属することになる。
そんな立場になったことはないが、それで、本当に「幸福」を実感できるのだろうか。
一般的には、「働かない」のにお金の心配をせずに生きてゆけるのであれば、羨ましいと思うはずだが、突き詰めて考えれば本当にそれでハッピーだと思えると断言できるのであれば、それはそれで良いのかもしれないが、何か虚しさを感じてしまう。
誰かの為に「働く」と言うこと。
人間は、「働くこと」に喜びを感じる存在であるとも言われる。自身が働くことで得られる対価で生きて行けることはもとより、それだけでなく、「働くこと」で社会にあるいは世間に貢献できることでの充実感から来る喜びも大きいウェイトを占める。
それは、自分以外の多くの人々をも支えることにもつながり、そのつながりで社会が成り立っている事にもなる。
大げさな言い方をすれば、「働かない」と社会は、ほぼ成り立たなくなってしまう恐れがある。
人間一人では生きていけないとも言われるのだが、まさに、「働く」ことで支え合うことが必要である。
自身ばかりでなく、誰かのために「働く」ことの尊さを忘れてはならないだろう。
職業に貴賤はないともいう。
どんなに小さな仕事でも、世界中のどこかの誰かのために必ず役に立っていることがある筈だ。
才能を無駄にしていないだろうか。
「働かない」とは、別の言葉の使い方として、「上手く機能しない」と言う意味でも使われる。例えば、「引力が働かない」と言えば「引力が機能としては効かない」と言う具合である。
「仕事をしない」「労働をしない」と言う意味だけでなく、もともとある筈の機能が上手く発揮されない状態をも指す。
「働く」ことの重要性も大事だが、「働かない」ことで、機能不全と言うことであれば、勿体ないことにならないだろうか。
程度の差はあっても、誰もが、持って生まれた才能がある筈で、それを上手く「働かせ」ないと折角の能力が無駄になってしまうかもしれないと、思うと残念である。
「働け」とは言わないが、「働かない」ことで自分が損をしているのだとすると悔しく思わないのだろうか。