どうやって、読者を最後まで引き付けるか?
本を読むことが不慣れな人も引き込む小説の書き方
多くの作家は本を読むという行為に慣れていない人のことを考えない。書きたいから書いているという行為の前提には、確実に本を読むことへの慣れというものが存在している。
よって、読書に不慣れな人にとって、本を手にとるという行為そのものが高いハードルとなっている。
さらに、ようやく手に取った本を読み進めるというのは一種の修行のようなものである。
読者を脱落させない工夫
さて、その修行が苦行であればあるほど、脱落者が多くなる。よって、不慣れな修行者を本の世界に引き込むには、なるべく楽行にしてハードルを下げるという作業が必要である。
しかし、楽行にすればするほど読書熟練者の満足度は下がっていく。
作家はその両者のバランスを考えた作品を創り上げていかなければ、読み手不在のものを一生懸命創ることになってしまう。
そこで、作品の読みやすさと面白さのバランスをいかにしてとるかの工夫が人に読んでもらう小説を書く上で重要である。
読みやすさと面白さ
まず、本を書くという行為をする上で第一に考えるのは内容ではないだろうか。確かに、本の内容は読者の評価に関わる大きな要素になってくるだろう。
平凡なストーリーが、最大限の感動を生むことはないだろう。
やはり、感動には作家が内容を研磨し、磨き上げたものであるということが求められる。
しかし、内容が素晴らしければ人は読むのか。
そこが難しいところだろう。
小説を読み切ってもらうためには?
面白さがあっても、実際に手にとって読み続けるのかは合一ではない。なぜなら、面白いという感情は読み切った人のみが手に取ることができるものであるからだ。
つまり、読み切るという行為を手にすることが出来なければ、面白さを感じることもできない。
作家は読みやすさを追求しつつ、面白さを肉付けしていくという職人芸を発揮しなければならない。
ユーモアの元
読みやすく面白い作家は、その作品を創っていく中で何を仕掛けているのだろうか。そこには言葉という道具をどれだけうまく使いこなせるかどうかが関わっている。
言葉使いのセンス
作家の意図をのせる道具である言葉は、難しすぎると受け取ることを拒否してしまうし、簡単すぎるとなかなか意図が伝わらなくなってしまう。ユーモアのあるものには、確実に言葉の選び方が秀逸であり、どのような読み手であってもすんなりと受け取ることができる。
さらに優れた作家は、言葉の中にもユーモアをちりばめる。
表現とは、書き手の思いをのせるだけでなく、読み手の想像力を助長するアイテムであり、それが読んでいる中でもユーモアを感じることができる要因になっている。
たった、一言でも印象に残る言葉とはそういった役割を果たすものである。
» ユーモアのある小説の書き方
終わり方がピークになるように
ここまで読み手のことを考えて作られた作品は、それだけでも十分に心をひきつけるものとなるだろうが、人間というのはどうもオチにこだわる生き物になってきているらしい。どんなに読んでいる途中で素晴らしいと感じていても、終盤になればなるほど、求めるものは大きくなる。
特に終わり方は大切で、この作品を読んでよかった。
と思えるものでなければ、読み手の満足度は高いものにならない。
なぜなら、面白いは結果であるからだ。
小説の終わり方は大事
最終的に面白いと感じるのは、すべてが終わった時であり、それまでの過程はあくまでも判断の基準となるものでありながら、その判断までたどり着くためのものである。ユーモアのある、楽しい作品を創るには、終わり方にこそ最大の注意を払うべきだ。
» 小説におけるクライマックスの手法・重要性