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インターネットと共に生きる我々は奴隷なのか?

人生を生きる上で、その行動のほとんどがアホではないかとふと思った。

今俺がやっていることは、結局人生において無駄なことなのかもしれない。
ホームページから大量に集客をして、AdSenseで儲けるなんてことが、意外とみんなやってるし、 YouTube だって、みんな必死にアクセスを集めるために相互フォローなんてしているんだから、もはや世の中金のためにみんな生きているようにしか思えてならない。

そして現実的にある程度収入がないと、社会の底辺の中で、何かよくわからないけど生きていかなくてはいけないんだから、そう考えると、ある程度田舎と言うか山奥で、そこまで贅沢しなくても、生きていけるぐらい何とかして生きるほうが、人生豊かなんじゃないのかなって思ってしまう。


こんなこと言っても、誰もこの文章を見てくれるわけではなくて、せいぜいGoogleとかその他の検索エンジンのワームが情報を収集して、このサイトにこういう情報が載ってるから、どうだこうだと言って、結局検索エンジンの利便性を高めるための文章でしかないのである。

と言うか創造的に生きるということが、このアホだらけの世界ではもはやバカらしくなってきてしまった。
結局のところ、金が稼げるか稼げないかさえもわからないところで、疲弊し消耗しているわけだ。


その結果がどうあれ、一番望むとして金が稼げるという結果になってしまうが、 実に人生の時間は相当疲弊して費やしてしまっている。
その事実には変わりないんだ。


と言うかお金を稼ぐことにこんなに人生を費やしていくのをもったいないし、 お金なんて既得権益者にとっては適当に政治的なものを動かして、簡単に入ってくるものであって、もっと言えば、MMT 的な理論を使えば、銀行にお金を通帳を記入するだけで入ってくるんだから、つくづく我々は、お金によって管理されているただの奴隷的存在なのではないかと思ってしまって、それが余計にアホらしく感じてしまう。

中学生でも高校生でもお金のために行動している。

中学生でも高校生でもやはりデフレになるとお金のために行動するようになるのではないだろうか?
というかお金を稼ぐためにいろんなことを中学生や高校生が行なっているのは普通に理解できると思うし、今もそういうことインターネットでいろいろと画策している子供たちがいっぱいいて、 まともな人格とか社会の役割とか一切理解せずに大人になっていくんだろうと思っている、現実にはしそうなっている。


そういう私も、 中学生の頃にホームページを作るとお金を稼げるというわけでアフィリエイトを始めて、高校生の時にオンラインゲームのリアルマネートレードでいくらか金銭を稼いだ思い出がある。


そして大学生の頃には、いくつかビジネスを考えてたけど結局はアフィリエイトかオンラインゲームのリアルマネートレードで失敗する程度で終わってしまったじゃないか。


結局はバイトをして、バイトというのも奴隷的な扱いではないけど、結構、支配されている感じで働いてた思い出でしかなかったりする。


結局のところ一般社会の世の中の仕組みに絶望し、再び企業をしたけど、1年間ヤバい生活を送った上でなんとか復活したけど、日本の経済がそろそろやばくなって自分のビジネスも展望がなくなってしまったじゃないか?
よくよく考えれば俺の人生だってアホの一人なのかもしれないけど、そのアホな行為を続けなければお金は稼げなくて死んでしまうのかもしれない。
ということは社会的な奴隷であるということを現実に認めるということではないだろうか?



結局のところ世の中お金であるというルールを変えることはできない

結局のところ世の中お金であるということは、 あと10年20年も続くだろうし、お金があれば全て何でも買えるという世の中になってしまうと、それによって人間が人間を支配する社会が完成してしまうし、ほとんど今そういう風になっているし、それが海外の一般的なグローバルスタンダードの部分かなんだろう。


私たちに戦って団結して世の中を変える力はあるけど、団結するためにはどうしたらいいのかといえば、 自らが奴隷であるという現実を受け止めて、奴隷どうして国民の連帯を行い権力者を打倒するしかないのである。


権力者は財務省やアメリカや中国国際的な資本家であるけど、その事実さえ思わずは周知させなくてはいけない。
しかし、それを継続していくためにはお金が必要である。

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